タルコフスキー監督のストーカーから引用。 このセリフが好き。下記は日本語訳。 重要なのは、自分自身のことを信じるように、子供のように無力になるように。なぜなら、弱さは偉大であり、力は取るに足らないからである。人間は生れるとき、弱くて柔らかい。死ぬとき、人間は固くこわばる。木が育つとき、 弱々しく柔らかい。木が乾き固くなるとき、木は枯れる。こわばりと力は、死の伴侶である。柔らかさと弱さは、存在の生気を表している。それゆえ、凝固したものは勝たない。 http://nam-students.blogspot.com/2014/12/blog-post_85.html?m=1 英訳も全文読みたいと思いインターネットジャングルを探検していると見つかりましたよ。 because weakness is a great thing, … [もっと読む...] about お守りフレーズ、because weakness is a great thing, and strength is nothing
供養
なぜひとりで山に登るか
登山は、海外放浪の延長として始めた。海外放浪も決まってひとりでやっていたことなので、山もひとりでやる、というのはごく自然な流れだった。僕の海外放浪には、インパール作戦の跡を追う、や、飛行機を使わずにポルトガルのサンビセンテ岬へ行く、や、北東インドの首狩り族の村へ訪れる、といった独自のプログラムが常に組み込まれていたので、その実践上、ひとりの方が都合がよかった。とはいうものの、ゲストハウスで知り合った気の合う人々と一緒に街を歩いたり、食堂を冷やかしたり、時には一緒に越境をすることもスポットではあって、それはそれで結構楽しかった。だけど、その場合の放浪の中身は、ひとりの場合とは、だいぶ異質なものになってくる。つまり、風景への期待というか、街中での行動にしても、観照や思索の上からもマイペースがひっこみ、かなり妥協的になり、主体性が大幅に後退していることに気が … [もっと読む...] about なぜひとりで山に登るか
芸術による救済
芸術は、それを必要とする人にとって、あるバイブルになり得る。優れた作品は、僕らが日常生活の中でまず取り上げることのない心象を、しばしば完璧に掌の中に捉えている。「この世界の中で自分がどれほど孤立していると感じているか」とか、「自分が感じている気持ちは、他のみんなが当たり前に抱く感情とどれほどかけ離れているか」とか「愛することや受け入れられることを切実に求め、そして手に入れ、やっとそれに馴れたところで、ある日何もかもあっけなくどこかに消え去ってしまうのではないかと思うと不安でたまらなくなる」とか、そんなことを気楽に語り合ったりすることはあまりない。もし誰かがそんな話題を持ち出すことがあったとしても、その発言が説得力を持っていたり、明瞭性を備えていたりすることは稀である。だけど優れた芸術作品はそうではない。ある種の論理を展開しながら、心の深いところで作り手 … [もっと読む...] about 芸術による救済
”私は全てのものに対して罪人である”という言葉が与えてくれる勇気の種類について
”私は全てのものに対して罪人である” これはボンヘッファーというドイツ人牧師の言葉です。 ボンヘッファーとはどんな人なのでしょう。別の場ではこんなふうにも述べています。 「善と悪との間で選択をするのは不可能であり、あくまで我々は、悪と悪との間に立って選択をするほかない。」 それが人間の行為である限り、完全な善など存在しない。全ては悪と悪との選択であると。 正義の摘発に飽くなき自粛警察、自分の権利ばかり主張する老害(若者も含まれるけどイメージとしての老害。語彙がなくてすみません。)みたいな人と比較すると、よりボンヘッファーの人物像が明確になると思います。 自粛警察や老害みたいな人は自分の意思に基づく行為こそが唯一解だと信奉しているが、ボンヘッファーは、全ての選択は悪と悪との間において辿られるものだと認識している点で、行為に対する評価が大きく異なりますね。 … [もっと読む...] about ”私は全てのものに対して罪人である”という言葉が与えてくれる勇気の種類について