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白夜

Published on 2025-05-10 | Last Updated on 2025-05-10 by dai-chang コメントを書く

金曜日の夜、仕事終わりにユーロスペースに足を運び、上映最終日のブレッソン監督の白夜という作品を観る機会を。得ました。

まずスクリーンに映し出される空間そのものの、息をのむような美しさ。夜のパリの雑踏、セーヌ川の鈍い光の反射、静謐な部屋の空気感。計算され尽くした構図、光と影の繊細な陰影は、単に綺麗という言葉で表現できるような表層的なものではなくて心が躍る。この雰囲気が、映画全体を現実から少しだけ浮き上がった、夢幻的なものへと昇華させるに一役買っている。大前提、映像が嘘みたいに美しい。

そして映画づくり。カットを断片的につなげながら映画を作る。そのカットは手であったり、足元であったり、あるいは意味ありげに置かれた物であったりする。全体像を親切に見せてくれることは稀で、意図的に情報の欠落を作り出し、脳が持つ全体を理解したいという欲求と欠けた部分を補おうとする性質を巧みに利用しながら、提示される些細な仕草や物の配置、音の響きから、登場人物の内面や状況を能動的に構築していくことを強く促される。観客は、バラバラに見えるショットの間に隠された繋がりを想像力と経験を総動員して見つけ出し、一つの意味のある流れや感情、状況を再構築しようと試みる。この体験がもたらすものとは。

それは第一に、映画への圧倒的な参加だ。情報を受け身で消費するのではなく、映画から感情を与えられるでもなく、意思を映像の断片と文脈から見つけ出す感動を味わうことができる。第二に、解釈の豊かさが生まれる。観る人それぞれが独自の物語や感情のニュアンスを紡ぎ出す余地が生まれる。全体像が抑制されているから、画面に映し出される一つ一つの物、身体の動き、音の響きが、観客にとっては物語を解読するための貴重な手がかりとなり、ディテールの重要性が極限まで高まる。ディティールが凝縮された意味をもつ。だから、文字通り映像に釘付けになって、深淵に触れるような映画体験を味わえる。

その体験を象徴するかのようだったのが、ある朝の印象的なシーン。ジャックが手紙を届けに家を出る日の朝、ベッドから起き上がり、次の行動に移るほんの直前、ごくごく短い一瞬だけ、彼の動きが完全に静止する。その微細な間から、秘められた決意のようなものを感じる。言葉も表情も音もなくて、あるのはジャックの腰下だけ。さらに手は内面の全てを物語っているかのようにも見える。ためらいなく伸ばされた手が乳をまさぐったり、相手の抵抗を抑え込むように腰をもだいたり、ねっとり太ももを確かめる手つき。ただひたすらに手つきそのものをクローズアップする。この断片化された、しかし強烈な手つきは何を意味するのか。 周りの状況はどうなっているのか。 この触れ合いは、合意の上なのか、それとも一方的なものなのか。これほどまでにミニマルな表現で、これほどまでに深い感情の機微を伝えることができるんだ。

ジャックの行動は多層的な意味合いを与えているようにもみえる。例えば、物語序盤における彼の奇妙なでんぐり返しや意味深な鼻歌、露骨なストーキング、出会って間もないマルトへのプログラムされたかのような急速な傾倒ぶりといった一連の行動は、現実世界から遊離した、夢想家的な人物であることを示唆しているのかもしれない。あるいは、映画という虚構の世界においてのみ許容されるある種の極端なロマンティシズムを体現しているとも言える。あるいは、醒めた視点で見れば、ジャックの行動はどこか滑稽にも映る。単なる奇異な振る舞いとして片付けることはできず、それは、夢想、ロマン、そして滑稽さといった、相反する要素を内包しいるように見える。風景に関しても、一義的な解釈に留まらない意味合いを孕んでいる。解放的な空は避けて、象徴的な橋や夜の川辺や限定された室内を執拗に映し、上から下を見下ろすアングルを多用する。

このような映像のトーンに対して、劇中でふと挿入されるボサノバは、不釣り合いなほどに屈託がない。その音楽が聞こえてくる直前にジャックは、確か「こういう調べを聞いたんだ」、みたいなことを言っていたと思う。その言葉に応えるかのように変拍子のボサノバが流れてくるシンクロニシティが絶妙におかしくてとてもおもしろい。あるいは、このボサノバにもいろんな意味付けができると思う。

主人公とマルトが夜という限られた時間にしか会わないという舞台装置もとてもいい。夜は、機能的な社会から解放された特別な時間というか、彼らの関係が決して朝の光のもとでは生き永らえられない運命にあることというか、夢がいつかは醒めるものというか、ロマンスに拍車がかかる感じがする。ラストは、マルトが去り、夜明けの薄明かりの中で絵筆を動かす姿が映される。はなれた岸辺と岸辺を結ぶ橋、ポンヌフ橋で出会うものの、現実の光の中でロマンティックな恋は成就し得ない、文字通りの白夜の夢かな。でもジャックはこれからも楽しい人生を過ごすのだろう。ジャックはジャックだから。

映画の楽しみを心から再確認できる一本だったなあ…!

2025-05-10 by dai-chang カテゴリー:供養

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