• Skip to main content
  • Skip to secondary menu
  • Skip to footer
  • ホーム
  • プロフィール

Dai-Chang のブログ

Weakness is a great thing, and strength is nothing

weakness is a great thing, and strength is nothing

  • SEO
  • 供養
  • 音楽
現在の場所:ホーム / 供養 / 天国の日々

天国の日々

Published on 2025-06-01 | Last Updated on 2025-06-03 by dai-chang コメントを書く

鑑賞後、これまでの映画体験では一度も味わったことのない、強烈で、そして静謐な感覚に包まれた。もうしばらくは他の映画を見ることができないかもしれない。それは、あまりにも美しいもの、あまりにも完成されたものに触れてしまった後に訪れる、一種の虚脱感、あるいは深い充足感にも似ていた。

この言葉にならない感動の正体は何なのだろうか。なぜこの作品だけが、これほどまで特別な、そして絶対的な何かを刻み付けたのか。

まず、その圧倒的な映像美。どこまでも広がる空、黄金色に輝く広大な小麦畑、その一つ一つが、計算され尽くした構図と光で切り取られる。息をのむ、という陳腐な表現では追いつかないほど、美しい。

マリック監督は、マジックアワーという一日のうち僅か20数分しかないと言われる奇跡の時間を偏愛していて、天国の日々では、人工照明は極力排して自然光だけで撮影に挑んだらしい。美に対する執念とも呼べるもの。効率や計算だけでは到底到達し得ない領域への挑戦であったに違いない。俳優たちの顔に落ちる深い影、影あっての光が際立ち、画面からは神聖さすら漂わせる。冒頭の工場シーンで見られる手持ちカメラの粗削りな質感と、ドキュメンタリーのような生々しさ。そうした計算された美と、不意に差し込まれるリアリティとの共存が、この作品に独特の深みを与えているように感じられる。

映像美と共に心に刻まれたのは、スクリーンの中で躍動する動物たちの姿でもあった。バッファローの群れ、イナゴの大群、闊歩する鳥たち。それらは単なる風景の一部としてではなく、物語の重要な局面で、あるいは登場人物たちの運命を暗示するかのように、象徴的な存在として描かれているように見える。広大な自然の中では、人間もまた動物たちと同様に、ちっぽけで儚い存在であるというある種の諦念にも似た視点。あるいは、どんな過酷な環境下にあっても純粋に生きようとする根源的な生命力の讃歌。スクリーンを見て感じた、純粋な風景、とは、この動物たちが持つ象徴性とマジックアワーの光とが織りなす、奇跡的な調和の効能によるものだったのかもしれない。

一方物語そのものは、驚くほどシンプルである。雇われ労働者として農場に流れ着いた男と女、そして男の妹。農場主との間で生まれる三角関係、それはやがて偽りの愛と、罪の意識を伴う裏切りへと発展する。燃え盛る畑、逃亡、死、残された者の再生。たったこれだけの筋書きの中に、人間の愛憎、罪と罰、そして自然の摂理といった普遍的なテーマが、まるで壮大な叙事詩のように凝縮されている。イナゴの襲来は、どこか旧約聖書の一場面を想起させる。ここに寓話感への拍車がかかるところもまたいい。物語そのものは王道中の王道なのだ。

しかし、なぜ天国の日々だけが、僕にもう映画を見れないとまで思わせるほどの、特別な感覚をもたらしたのだろうか。映像が美しい作品、深い思索を促す作品、心揺さぶる音楽に彩られた作品。そうした映画は、これまでにも数多く見てきたはずだ。それなのに、天国の日々を見て抱いた感覚は明らかに異質だった。根源的で、そして抗いがたい何か。とにかく圧倒されたとしか言いようのない、絶対的ななんらかの心情。

クリエイティブの世界に身を置く者でもない僕が、これほど完璧な作品を前にして、人はどうしてなおも何かを創り出そうとすることができるのだろうかという、畏敬とも絶望ともつかない念に囚われた。それは、テレンス・マリックという作家の芸術性や作品の完成度だけでは説明できない、ある種の極点に触れてしまったかのような感覚だった。

もしかしたら、マジックアワーの光、広大な自然、躍動する動物たち、燃え盛る炎といった、圧倒的に純粋な存在そのものによって映画を成立させようとする、その手法の純粋さに感銘を受けたのかもしれない。照明や俳優の演技力といった人間の作為を極限まで排し、自然そのものが持つ力を、ただひたすらに信じ、待ち、そして捉えようとする姿勢。その到達の仕方のあまりの純粋さゆえに、これ以上のものを求めることが無意味に感じるという境地へ導かれていたのではないだろうか。

あるいは、あれほど美しい映像でもっても、ロケーションや天候といった条件が整えば、あの種の映画は誰にでも撮ることができるのか。多分、単なる現象ではなく、テレンス・マリックが、数ある表現方法の中からマジックアワーという極めて限定的でコントロールの難しい条件を選び取り、それを作品の核として徹底的に追求したその選択と意志にこそ、この作品の比類なき唯一無二性があるのではないか。

自然現象や動物たちの姿を単なる美しい背景として消費するのではなく、登場人物たちの感情や物語のテーマと共鳴させ、詩的な次元にまで高める手腕。ビジネス的には極めて大きなリスクを伴うであろう製作方法を敢行し、純粋な美の実現に全てを賭ける姿勢。そこに、僕は一種の美への殉教のようなものを抱いた。これ以上のものを求めることが無意味に感じる。この感覚が、天国の日々がもたらした、揺るぎない感想だった。ある種の究極の美や絶対的な調和、あるいは完全な充足感のようなものをもたらしたからこんな着地になったのだろう。自然そのものの力と映画という芸術形式を、極限の地点で融合させた到達点に触れたような感覚。

天国の日々は、僕にとって間違いなく、生涯忘れ得ぬ一本となった。この余韻を、今はただ静かに大切に味わっていたいと思う。

といいつつ、ジャンヌディエルマンを翌週はみにいったのだった。

2025-06-01 by dai-chang カテゴリー:供養

Reader Interactions

コメントを残す コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です

Footer

dai-chang

https://daikinakata.blue/dai-chang/
  • Visit Twitter account (opens in a new tab)
  • Visit Facebook account (opens in a new tab)
  • Email

カテゴリー

  • SEO
  • 供養
  • 夢
  • 音楽

サイト内検索

Copyright © 2025 - dai-chang - weakness is a great thing, and strength is nothing