私はなぜスキーが好きなのか。
まず、スキー場のトップから麓が一望できる。とても大らかな気持ちになれる。
この感情の正体は、下界との決別というより、むしろその景色の中に自分がいて、全てを許せるような、受け入れられるような感覚に近い。
あまりに巨大なものを前にすると、自分という存在が溶けてなくなる。自分なんてこの風景の中のチリみたいなものだから。こまごました悩みから自分を守ろうとする力が抜けていく。広い世界をただ眺めているだけで、世界はこんなに広くて、ただそこにいたりあったりするだけで完璧なんだってモードに入れる。
スキーは重力に身を任せる遊び。
広いバーンでスピードを出して、大きく回りながら足の裏にぐっと力がかかるのを感じる。
誰も踏んでいない新雪の上で、ふわふわと浮くような感覚を楽しむ。
あるいは、荒れた凸凹の斜面で、ポンポンと跳ねるように滑る。
どれも違う楽しさがあるけれど、共通しているのは、頭の中が空っぽになること。「今、滑っている」ということ以外、何も考えられなくなる心地よさがある。
自然というのは本来、決してコントロールできない対象で、雪の状態も、山の地形も、人間の思い通りにはならない。
だから、自然に抗うのではなくて身を任せることが上達への第一歩になる。
これは精神論だけじゃなくて、身体の動かし方みたいなテクニックとしてもそう。力づくで雪をねじ伏せようとしても、板は走らない。重力や地形に合わせて、自分の体を預けていくとうまく滑れる。
でも、そこには常に怖さがある。転ぶかもしれないとか速すぎるかもしれないとか怖がって体が縮こまると、フォームが崩れて全然滑れなくなる。
その恐怖心を乗り越えて、コントロールできない自然に対して勇気を出して体を委ねてみる。そうすると、スキーというか雪の中で身体を自在に操作できる瞬間がくる。
怖さを手放して、自然と調和できたときだけ味わえる、あの一体感。それがたまらなく楽しい。
滑り終わった後のリフトもとても好きです。内省する時間としてちょうどいい。
「まだビビってるな」とか「あのターンはなんでうまくいたったのか」と、自分と向き合う。雪は嘘をつかないから、うまくいった時もそうでない時も、結果がそのまま返ってくる。それを受け止め、自分の滑りのどこに課題があるのかを見極め、次の滑りで修正することができる。だから、やればやるだけうまくなる。(あるいは、取り止めのないことを考えたりすることなどもとてもよい。)
滑って、興奮して、リフトで静かに考えて、また滑る。この繰り返しが、どうしようもなく楽しい。
ちっぽけな自分が、この大きな自然の一部になって、ただ夢中で遊んでいる。
コントロールできない自然への畏敬の念と、そこに飛び込んでいく勇気。
その二つが噛み合ったとき、ちっぽけな自分がこの大きな自然の一部として、確かに受け入れられたような気がする。
この満たされた感覚こそが、私がスキーを愛してやまない理由なんだと思う。
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