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愛とは、二つの孤独が互いに守り合い、触れ合い、迎え合うことである

Published on 2026-02-02 | Last Updated on 2026-02-02 by dai-chang コメントを書く

まず絶対的な前提について触れなくてはなりません。孤独とは、私とあなたは永遠に別の個体であり、決して一つにはなれないという変えようのない事実のこと。私たちは一つになれないから、放置すれば暗闇に落ちてしまう。だから、私たちは理屈を超えて求め合う。それは遺伝子レベルの切望とも呼べるもの。生物として強く惹かれ、接続していたいという感覚。

その相手は条件を並べて比較して選べるものではありません。そうであるしかないという不可避な事実として、あるいは自分と同じ痛みを知る魂の形が似ているという直感として根を下ろすもの。愛は稼ぎや家事能力といった機能(Doing)では評価されません。〜ができるから愛するというDoingへの愛は、条件付きの愛だから。それは単なる理由に過ぎず、状況が変わってその理由がなくなれば愛せなくなる。それでは愛とは呼べません。愛とは、その人がただ存在している(Being)というだけで、自分の世界が美しく見えるという状態を指します。

では、その愛とは具体的にどのようなアクションを指すのでしょうか。

詩人リルケが残した言葉を借りれば、愛とは「二つの孤独が互いに守り合い、触れ合い、迎え合うこと」と言えます。

ここで重要なのは、愛とは単なる感情ではなく、能動的な行為であるということ。一つになろうと相手の領域を侵犯することではありません。相手がその絶対的な孤独の中で安心して息ができるよう不安から守り抜くこと。あなたは一人だけれど、私がその孤独の番人として傍にいる。そうやって互いの孤独を守り合う行為が愛。

じゃあ友情と愛の違いはなんなのだろうか。

友情は、いわば並走。肩を並べて、同じ方向にある共通の趣味や真理を見つめている関係であり究極的には代わりがきくもの。友情は、社会的な建前やルールの中で成立する公的な領域に属し、世界を楽しむためのもの。

対して愛とは対峙。向かい合って、お互いを見つめ合っている。視線が交差し、相手がいなくなれば世界も崩壊してしまう。睡眠、老化、排泄といった、本来ならば隠したい生物としての実存さえも共有する。社会的な役割をすべて脱ぎ捨て、ただの生き物に戻り、互いのありのままの存在を守り合う関係。この関係を守り抜くために自由の放棄を決断することでもある。常に他の可能性が開かれている友情とは異なり、この人と歴史を積み重ねると決めて、退路を断つ。

結局のところ、愛とは相手の幸福を願う理性と、私だけがこの人を愛し抜くのだというエゴが混ざり合った非合理的なプロジェクトの事なんだと思います。相手の幸福を願うだけなら、私以外の誰かと一緒にやってもいいはず。けれど、違う。私だけが守るというエゴ、他の誰にもその役目を渡さないという強烈な意思。融合したいほどの熱を持ちながら、個として孤独を尊重し合う。幸福を願いながら独占する。この矛盾に苦しみながら、一生をかけて実行する誓い。もう少し構造的に整理したい。

2026-02-02 by dai-chang カテゴリー:供養

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